<磁石プロの視点>
紀元前600年頃、初めて発見された磁石がギリシアのマグネシア地方の磁鉄鉱(マグネタイトFe3O4)だったといわれています。それから2600年後、マグネタイトFe3O4に対して最先端のスピントロニクスやバイオ、触媒化学分野に対する応用研究が盛んに行われ始めました。今回の研究発表は、磁石の強さの基本性能であるマグネタイトFe3O4の飽和磁化Jsを増大させたことに大きな意義があり、従来のマグネタイトFe3O4の磁気性能では困難であった分野での応用研究が進展することになると思われます。また、理論予測が実証されたことにより、磁気性能のより大きな新たな化合物の発見競争にも拍車がかかりそうです。
<発表のポイント>*東京大学プレスリリース 2025年3月3日
◆ Fe3O4に希土類元素を添加することにより飽和磁化を増大させることに成功した。
◆ Eu置換Fe3O4結晶中でEuとFeイオンの電子スピンが室温で強磁性的に結合していることを確認し、同物質の磁化制御に関する理論予測を初めて実証した。
◆ スピントロニクス、触媒化学、医療などの幅広い分野におけるFe3O4の産業応用の更なる発展・開拓につながると期待される。
<プレスリリース概要>
東京大学大学院工学系研究科の関宗俊准教授、吉田博嘱託研究員、田畑仁教授と高輝度光科学研究センターの山神光平テニュアトラック研究員を中心とする研究グループは、ありふれた磁石であるマグネタイト(Fe3O4、黒さび)の磁化制御のための理論モデル・デザイン則の実証に世界で初めて成功しました。本研究では、希土類元素Euを添加したFe3O4単結晶薄膜の成長プロセスにおいて、成長速度を変化させることにより結晶中のEuの置換サイトを緻密に制御し、Fe3O4のスピネル型結晶構造(注1)の副格子間(正八面体-正四面体サイト間)のEuの分布と磁気特性の相関を調べました。その結果、理論予測の通り、正四面体サイトのFeをEuで置換した薄膜において飽和磁化が増大することが分かりました。また、軟X線内殻吸収磁気円二色性(XMCD)実験(注2)によりEuとFeが持つ電子スピンが強磁性的に結合していることを見出しました。これらの成果は、スピントロニクス分野だけでなく、医療、触媒化学や環境工学などの幅広い分野においてFe3O4の産業応用を飛躍的に促進しうるものと期待されます。

<発表内容>
永久磁石であるマグネタイト(Fe3O4)(黒さび)は、地球上に豊富に存在する資源で生体内にも存在し、環境調和性と生体親和性を併せ持つ代表的な磁性酸化物です。そのため、Fe3O4はバイオ・スピントロニクス材料として大きく注目されており、環境・生体調和型デバイスへの応用に向けて、スピントロニクスだけでなく、医療、触媒化学、環境工学などの幅広い分野において長年に渡り精力的に研究が進められてきました。
近年、Fe3O4の更なる高次機能化に向けて、飽和磁化を増大させることが重要な課題となっています。これに対して、本研究グループの吉田博・東京大学大学院工学系研究科附属スピントロニクス学術連携研究教育センター嘱託研究員/大阪大学名誉教授らは、計算機ナノマテリアルデザイン手法を駆使して、Fe3O4のスピネル型結晶構造中の正四面体サイトのFeをEuで一部置換すると、3d-4f混合電子系の相対論的量子効果による巨大スピン軌道相互作用(注3)と、局在した3d-4f電子間の強い交換相互作用(注4)の協奏効果によって、磁化が著しく増大することを世界に先駆けて予測しました。しかしながら、空隙が少ない正四面体サイトに大きなイオン半径を持つEuイオンを配置させることは極めて困難であり、このようなEu置換Fe3O4単結晶は実現していませんでした。
本研究では、Fe3O4の単結晶薄膜の成長プロセスにおいて、成膜速度を変化させることにより、Euの結晶中の分布の制御を試みました。成膜速度が低い場合は、熱平衡状態を保ちながら反応が進行する従来のバルク結晶成長の場合と同様に、空隙の大きな正八面体サイトに優先的にEuが入りますが、成膜速度を極端に上げると、四面体サイトにEuが入ることが分かりました。また、この正四面体のFeをEuで置換した薄膜(Eu:Fe3O4薄膜)は、理論的に予測された通り、Fe3O4薄膜よりも大きな飽和磁化を持つことが確認されました(図1(a))。さらに、大型放射光施設SPring-8 BL25SU(注5)での軟X線内殻吸収磁気円二色性(XMCD)実験により、この正四面体サイトのEuと正八面体サイトのFeの電子スピンが強磁性的に結合していることを明らかにしました(図1(b))。一方、電気特性を調べたところ、Eu:Fe3O4薄膜はFe3O4薄膜とほぼ同じ電気抵抗率を示すことが分かりました。これは、Euが添加されても、Fe3O4の主要な伝導機構である、八面体サイトのFe間の電子のホッピングが阻害されないことを示唆しています。さらに、Eu:Fe3O4薄膜ではFe3O4薄膜と同様に室温で異常ホール効果(注6)が観測されました(図1(c))。これは、伝導電子が室温で高いスピン分極率を持つことを示唆しており、スピントロニクス応用のために重要かつ必須の特性が得られていることを示しています。

<用語解説>
(注1)スピネル型結晶構造
立方晶系に属する結晶構造の一種。「発表のポイント」で示した図(左)、酸素イオンにより正四面体的に囲まれた金属イオンと正八面体的に囲まれた金属イオンからなる。
(注2)軟X線内殻吸収磁気円二色性(XMCD)
左・右円偏光を持つ軟X線に対する内殻吸収の強度差として定義される。原理的に元素及び電子軌道選択性を有し、その絶対値の大きさは対象元素の持つ磁気モーメントの大きさに比例する。さらに、内殻吸収遷移過程とXMCDの符号を考慮することで対象元素間の磁気的相互作用の関係がわかる。
(注3)スピン軌道相互作用
相対論的効果によって生まれる、電子のスピン角運動量と軌道角運動量の相互作用のこと。
(注4)交換相互作用
電子同士の位置を交換したときに生じる電子間の量子力学的相互作用のことであり、電子のスピン間に働く磁気的相互作用を与える。
(注5)大型放射光施設SPring-8 BL25SU
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。全47本のビームライン(BL)が稼働しており、その内、BL25SUは左・右円偏光軟X線の高速スイッチング技術により高感度なXMCD実験が行えるビームラインである。
(注6)異常ホール効果
導体に電流を流し、電流と垂直に磁場をかけると、磁場と電流それぞれに垂直な方向に起電力が生じる。これはホール効果と呼ばれている。磁性体などにおいて、外部磁場とは異なる要因で引き起こされるホール効果を異常ホール効果という。
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