03.永久磁石の起源(2)-中国

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<指南器と羅盤>
西欧のマグネットと同じ頃、すでに中国でもこのような鉱石が当時の慈州(河北省南部)にあり、「慈石」と呼ばれていた。
また、紀元前240年頃にはこの慈石が南北を示す方位計(羅針盤の原型)になることは、すでに知られていて、スプーン(蓮華)形の方位磁石「司南(指南器)」が造られていた。その後、3世紀になると実用的な方位磁石「指南魚」が使われ出した。
中国後漢の時代になると、東西南北、十二支等を示す盤がつくられ、方位を示すと同時に占い道具としての「羅盤」へと発展していった。中国におけるこの羅盤の発明は、すぐには航海に利用する羅針盤とはならず、主な用途は地相占いにあったようだ。

           指南器                  指南魚

中国の古文書「呂氏春秋」によると、西欧のマグネットと同じ頃、すでに中国でもこのような鉱石が当時の慈州にあり、且つ母親の二つの乳房のように慈愛深く乳児をひきつけることから「慈石」と書かれていました。二つの乳房はもちろんN極、S極のことです。
また、この慈石が南北を示す方位計(羅針盤の原型)になることは、すでにこの頃わかっていて、スプーン(蓮華)形の方位磁石「司南(指南器)」が造られていました。
このスプーンに似た形は、磁石が良く回ることと、当時の方位の目印であった北斗七星を形どったのが理由だったと言われています。
その後、中国後漢の時代、方位に関する知識が完成され、それを基礎に司南が改良されて、東西南北、十二支等を示す盤がつくられ、方位を示すと同時に占い道具としての羅盤へと発展してゆきました。
中国におけるこの羅盤の発明は、すぐには航海に利用する羅針盤とはならず、主な用途は地相占いにあったようです。中国では古くから風水占術が発達していて、風水師が家や建物を建てるとき、地相を占っていました。もちろん、これが後の羅針盤の元になったことはいうまでもありません。
中国では大昔、すでに指南車という方位を示す機械製品が作られ、実用化していました。
紀元前2600年頃には黄帝軒轅(けんえん)が造らせたという説や紀元前770年~紀元前220年の春秋戦国時代の周の時代に活用されていたという説などがあるようですが、これらはあくまで逸話・作り話に過ぎず、実際は魏の時代(220年~265年)以降が正しいようです。
しかも、この指南車は「宋史」によると、磁石応用製品ではなく、歯車による“からくり”機械製品であることがわかっています。恐らく祭礼、儀式に使われ、中国では「天子は南面す」という思想があるため、隊列の先頭で南を指し示しながら、皇帝の威光を庶民に知らしめる道具だったのでしょう。
磁石が実際に使われた指南車もあったようですが、さらにその後になってからという説が有力のようです。実際に方位を示す目的で作られたのが、3世紀に入ってからの指南魚です。これは、木片に慈石を組み込んだものを水面に浮かべて南北を調べたもので、木の魚の頭が南を示したわけです。
さらに後の時代には、この指南魚が水鍼版(すいしんばん)に発展してゆきました。

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